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明美ちゃん基金は、先天性の心臓病などに苦しみながら経済的な事情などで手術を受けることができない子供たちを救うため、昭和41 年に産経新聞社が提唱して設立された基金です。
活動資金はすべて読者を中心とする一般の人たちからの善意でまかなわれ、50 年以上にわたり、500 人を超える幼い命を救ってきました。
平成29 年には、基金の運営をフジサンケイグループの一員として社会貢献事業を展開している社会福祉法人「産経新聞厚生文化事業団」(本部・大阪市浪速区)に移管し、産経新聞社とともに、子供たちの笑顔を守る活動を続けています。
「貧しいがゆえに死なねばならぬか・・・」
昭和41(1966)年6 月7 日。サンケイ新聞(現・産経新聞)社会面に闘病生活を送る幼い少女の記事が載りました。
少女は、鹿児島県に住む伊瀬知明美ちゃん(当時5 歳)。心臓の心室の壁に穴があいている心室中隔欠損症などを患い、「手術をしなければあと2、3 年の命」と宣告されたものの、小さな畑で8 人家族を養う両親に50 万円の手術費は賄えませんでした。
「貧しいために最愛の娘を見殺しにしなければならないのか」。
見かねた明美ちゃんの叔父夫婦が両親の嘆きを産経新聞に投書、記事でそれを紹介したのです。
「明美ちゃんを救おう」。記事は大きな反響を呼び、社会部には電話や手紙が殺到、翌日までに全国から66 件、268 万円余りの善意が寄せられました。
1 週間後には420 件、425 万円余りに。手術に必要な50 万円をはるかに上回ったことをきっかけに、昭和41(1966)年6 月15 日、産経新聞社の提唱により、心臓病の子供を救う日本で初めての基金「明美ちゃん基金」が誕生しました。
大学や研究機関などによる、心臓病を中心とした小児難病に関する学術研究に対する資金助成
国内の公的扶助充実に伴い、基金は海外にも目を向けるようになりました。昭和47(1972) 年、インドネシアのニューニュー君( 当時7 歳) から始まり、医療事情の悪いアジアを中心に、これまでネパール、カンボジアなど20 カ国の子供たちが日本で手術を受け、元気に帰国しました。
また小児の心臓病をめぐる学術研究にも基金を拠出しており、平成10(1998)年には、ミャンマー中部で、「ミャンマー子供病院」の建設を支援するなど、活動の幅も広げています。
基金の適用を受け、平成25 年に開かれた
「第7回先天性心疾患の成因と形態形成に関する国際シンポジウム」
基金の適用を受け完成した「ミャンマー子供病院」の
記念式典で伝統的な踊りを披露する子供たち
国内外での心臓病の子供を救う活動、あるいはその必要性を啓発するなどの活動を行っている団体のうち
基金の趣旨に沿う活動を展開している団体に対する資金助成
海外事業を中心とした基金の趣旨に沿った活動、医師団派遣による治療活動や研修医師を招聘
(現在はミャンマープロジェクトを実施)※2021 年1 月現在
活動拠点となった国立ヤンキン子供病院
基金は平成27 年から国立循環器病研究センター、東京女子医大病院、ミャンマーを中心に医療ボランティアを行っているNPO 法人「ジャパンハート」の3 者と協力し、ミャンマーで先天性心疾患の医療技術を向上させるプロジェクトを始めました。
活動先はミャンマー・ヤンゴンの国立ヤンキン子供病院で同国の小児医療のナショナルセンターです。
27 年3 月に同病院と「ミャンマーにおける先天性心疾患治療の発展に向けた医療支援事業」に関する覚書を締結。
今年3 月で当面の活動期間とされた5 年を迎えましたが、支援はさらに2 年延長する方向で調整されています。